日本におけるクラフトビールの始まり

クラフトビールイメージ

日本のクラフトビールの始まりは1994年(平成6年)です。なぜこうハッキリと言い切れるかというと、その年に酒税法が改正になり、ビールの製造免許を取るために必要な最低製造量が年間2,000キロリットルから60キロリットルに、大幅に引き下げられたのです。それまで日本では「キリンビール」「アサヒビール」「サッポロビール」「サントリービール」「オリオンビール」の大手5社しかビールを製造できませんでした。しかし、この法改正により、小さい醸造所でもビールが製造できるようになったのです。

日本最初のクラフトビールは?

酒税法改正後に「地ビール」ブームが起こります。当時は「クラフトビール」ではなく、大半が「地ビール」と呼ばれていました。名前のとおりそれぞれ土地を代表する銘柄として開発されるケースが多く、地域復興の起爆剤として活用されていました。

法改正後に日本で初めてビールの製造免許を取得したのは北海道のオホーツクビール。法改正があったのは1994年(平成6年)の3月ですが、その翌月にあたる4月に「ビール製造内許可」を申請、同年6月に免許を取得しています。同年12月には、やはり日本初となる「ビール製造本免許」も取得しています。満を持してその翌年の3月、醸造所併設のビアレストラン『オホーツクビアファクトリー』が開業されました。

免許を取得したのは惜しくも2番目(1994年(平成6年)12月にビール製造本免許を取得)となりましたが、日本における開業第1号は、1995年2月に全国初の地ビール・ブルーパブを開業した新潟の『エチゴビール』です。今でも同社の製品には誇らしげに「全国第一号地ビール」の文字が刻まれています。

法改正後すぐに盛り上がった「地ビール」ブームでしたが、残念ながら下火に。ところが2020年(令和2年)の新型コロナウィルス感染症に伴う緊急事態宣言等の影響でおウチ時間が増えたことに伴い、「地ビール」は「クラフトビール」と呼び名を変え、再び盛り上がりつつあります。「地ビール」ブームの頃は根付かなかった本当に意味でのビール文化(ラガーとエールの違いを理解していたり、好みのビアスタイルを持っていたりすることかな、と個人的に思っています)が、果たして日本に定着するのか・・注目していきましょう。